単純なパスワード370個は、Twitterでは使えない。

TechCrunchに、370 Passwords You Shouldn’t (And Can’t) Use On Twitter(Twitterで使うべきではない&使えない370個のパスワード)という記事がありました。

禁止パスワードの一覧はこちら(TechCrunch内)から見られます。これらは、Twitterのサインアップのページに直接ハードコーディングされているそうで、そこから抽出したものだそうです。

見てみると単純なものがたくさん;123456, password, twitter など。
Twitterがこういった形で規制しているということは、簡単なパスワードを使っている人が多いのかもしれません。

[雑記] 2009年振り返り

私的な内容ですが、2009年の一年間を振り返ってみようと思います。

***
まずは会社生活から。

経営環境の変化により社内にタスクフォース的な部署が生まれ、そこに異動したというのが最も大きな出来事。若干不本意ながらの異動であり、自分のキャリアについて考えることが多かった。個人的な仕事の仕方という点で言えば、仕事を抱えすぎた(量というより仕事の種類;PJ管理・技術開発・システム構築の全てを同時並行していた)ため、仕事を効率的に進めるには...と考えることも多かった。

少し否定的に書いたものの、色々なことをやらせてもらえているということは、良い上司に恵まれているのだと思う。PJ管理も資料作りも、「部下にやらせてレビューし修正させて再レビューし...(おまけに部下は不機嫌になる始末)」とするよりは、自分でやった方が早いだろうに。こんな機会を与えてくれる上司には心から感謝している。

技術開発では、技術や理論を肌で感じることと、アイディアを生み出すことの重要性を実感。
技術や理論についていくのでアップアップするのではなく、その全体像も細部も知っている(というか感じられる)状態でいなければ、結局は何も生み出せない。問題点・改良余地のある部分の本質は、全体に散らばっていることが多いと思うから、「全体像は見えるけれど細部はわかりません」だったり「細かい動作一つ一つは知っているけれど、一つ一つ追って行かないと説明できません」だったりすると、けっきょく本質は捉えられず、大きな進歩もできない。
そんなところでアイディアも重要。上に書いたような「問題点」は、明示的に見つけることができない。だから、ロジカルにではなく別の角度から見つける必要がある。
アイディアを生むのは難しいことだけど、今年の経験からすると、日頃から発想力を広げようと努力する、人と問題を共有するあたりが効果的かなぁと思う。

もう一つ、今年は上司がどうやってコミュニケーション(日常の受け答え・プレゼンなど)を取っているかを見ることが多かった。
自分なりに分かった結果としては、質問に対して真面目に答えるのではなく、相手が求めている答えを見抜いて一言で示すこと。これは良く言われてることだと思うけれど、大事だと実感。この答え如何で、空気ががらっと変わってしまうから(特に怒られているときには...)。本当にこれを実行するのは不可能だとは思うけれど、状況によっては可能なことも多いと思う。


***
次は、会社生活以外について。(五月雨式に...)

まずはライフハックという点。
効率化の基本は無駄を省くこと... 同じようなことをいつも考えているよりは、一度考えたことは次からは省き必要に応じてアップデートすればよい。ということで、自分自身についてのマインドマップを定期的に描いた。結果、全体像は見えないけれど少しはマシにはなったかな...。
もう一つ、アイディアについても同じことが言えると思い、家のPCにはWiki・マインドマップツールを導入 (ついでにSubversionで版管理も)し、いつもノートを持参するようにした。ときどき見返すと、役に立ったことが多かった。

次は趣味の音楽演奏について。
今まではいくつかのバンドをやっていたのだが、大人数(5人程度)でやるバンドを全てやめ、自分+歌い手2人の3人のバンドだけにした。バンドはバンドでやる楽しさがあるとは思うのだけれど... 理由は2つ。
一つは、良い演奏をしようというよりも仲良くやろうということが優先されてしまい、向上しないこと。
もう一つは、音の数が多い分、自分の課題が見えなくなってしまうこと。

最後は人間関係について。
社外のいわゆる勉強会というものに出てみることが多く、社外の知り合いも増えたように思います。言葉では分かっていたものの社内に閉じているのは良くないと実感。

***
まだまだ書き足りないところは沢山あるけれど、とりあえずはこんなところで。
2010年の抱負はまた別途...。

How does our language shape the way we think? (言語は考え方に影響を与えるか?)

"What's Next: Dispatches on the Future of Science" という、若手の科学者のエッセイを集めた本があります。この中に、"How does our language shape the way we think?" (言語は考え方に影響を与えるか?) というエッセイがありました (原文はこちら(著者のウェブサイト)にも載っています)。著者は、Lera Boroditskyさんというスタンフォード大学の助教授の方。専門は心理学・神経科学・記号論、研究テーマは言葉が思考に及ぼす影響とのことです。

さて、言語は考え方に影響を与えるのか? 著者が研究した範囲では、答えは「与える」のだそう。従って、違う言語を使う人は考え方も違い、新しい言葉を習得すると考え方が変わり、多言語を話す人は違う言葉を話すときに、考え方も違ってくるということになります。

それを裏付けるもっとも簡単な例として、動詞の持つ性質があります。例えば、動詞は、言語によって時制があったり、性別があったり、その動作の背景まで含んでいたりします。それによって話者が、話す際、どのような情報が求められるかが変わってきます。

また少し驚くような例として、アボリジニの一族の絶対的方位感覚があります。多くの人は空間を定義するときには、話者または聞き手から見て相対的に定義しますが、この一族は絶対的な方位で定義します。例えば、「あなたの南東方向の足にアリがいる」とか。著者の研究に拠ると、彼らの方位感覚は言葉によって強制的に身についたものだということです。ちなみに、彼らに「写真を時系列に並べる」ということを指示してみたところ、東から西へ並べたのだそうです (私たち日本人は、一般的に左から右に並べますよね)。

これが言葉自体の違いで生まれるのか、それとも単に文化的違いだけから来るものなのか? これについては、新しい言葉を学ぶことによって考え方が変わるということが見られたため、言葉が影響を及ぼしていると言えるのだそうです。

研究に拠れば、空間・時間・色・物・物事の分析・原因の究明・数の認識・物体の認識・認知・感情・他人の気持ちの理解・リスクを取るべきかの決断・仕事や配偶者選びも、言葉の影響を受けていることが分かるそうです。

***

日本人の文化は諸外国の文化に比べて、ハイコンテクストな文化とされているのも、文法上の性質から説明がつくのではと思いました。

まず、日本語は文法的に曖昧さが許されている言語だと思います。日本語では好きな情報を好きなだけ文章に入れられます。日本語では「私が食べた」「ハンバーガーを食べた」「きのう食べた」「東京で食べた」「お箸で食べた」のどれもが許されるので、5W1H (誰が・いつ・何を・どこで・どうして・どうやって) について、話者が触れたい情報だけ触れることができます。英語では少なくとも、「誰が」については、それの文章中での役割が少ないとしても触れる必要がありますし、動詞によっては「何を」も必要です。

これは逆に考えると、日本語では、意識的か無意識的かは問わず、隠せる情報をいくらでも隠すことができます。とすれば、日本語が「言わなくて良いことは言わない」という性質を帯びているのも納得がいくと思います。


ちなみに、5W1H: who(whom), what, when, where, why, how のうち、はじめの2つは文法上省略不可で、後の4つは副詞で文法上省略可能です。ということは英語でも、when, where, why, how は随意なのですね。

話が逸れつつありますが...
言葉(表現)と考え方との関係や、言語と考え方との関係はとても興味深いです。

言葉の一番の役割は、コミュニケーション、すなわち情報を人対人でやりとりすることです。そこでやりとりする情報は、伝達者が持っているもの、すなわち伝達者が認知していることとなります。とすると、言葉は、人が物事をどう認知するかに大きく依存するはずです。言葉を手がかりとして、認知について考えることができるように思います。
# これは今回のエッセイには関係ないか...

また、言語が考え方に影響を及ぼすとは、「情報をアウトプットする際には一定の様式である文法に従って開示することが求められるため、相対的に重要でない情報についても文法制約上、触れる必要がある場合がある。そのため、重要でない情報も話者が意識する必要が生まれ、考え方が影響を受ける。」といった感じだと思うのですが、どういった文法制約がどういう考えを生むのかはとても興味深いです。